キャリア15年、37才で引退
現地2021年3月12日、アトランタ・ブレーブスからFAとなっていて、まだ所属先が決まっていなかったニック・マーケイキス(Nick Markakis )が引退を表明しました。
キャリア15年、37才での引退です。
2020年の契約
ニック・マーケイキスは2020シーズン、$4Mのサラリーでブレーブスとサイン。
もともとは2019年のコントラクトとして、1年$4M(2019)に加えて2020年はクラブオプションで$2Mのバイアウトという条件でした。2019年終了後、ブレーブスはクラブオプション行使を拒否。よって、バイアウト$2Mが成立しましたが、ブレーブスはその上で2020シーズンも$4Mでサインし、再契約していました。
2020年はシーズンオプトアウトを宣言→撤回
60試合のショートシーズンとなった2020年ですが、当初、ニック・マーケイキスは2020シーズンはプレーしないというオプトアウトを表明。これが2020年7月6日のことでした。
しかし、シーズン開始直後の7月29日に撤回。フィールドに戻りました。
復帰を決めたのは、「腹の底からフィールドにいる必要を感じたから」というとても前向きな決断。これは好感でしたね。そして2020年8月5日のブルージェイズ戦でついに復帰。
復帰2戦目でWALK OFF
そして復帰2戦目となった現地2020年8月6日のブルージェイズ戦では先発RFで出場。シーソーゲームとなり、3-3の同点で迎えた9回裏、ニック・マーケイキスはウィルマー・フォントからサヨナラHRを放ち、さすがという役者ぶりを見せてくれました。
結局、2020シーズンは37試合に出場。これはシーズンの61%ですね。130打数33安打、打率.254、OBP .312、SLG .392で、HRは1本、RBIは15。
2020年のポストシーズン
なお2020年、NLCSまで進んだブレーブスですが、ニック・マーケイキスはワイルドカード・シリーズ、NLDS、NLCSと計11試合に出場。途中交代もしましたが、ほぼ先発から9回までは出場。成績は37-8で、打率.216。二塁打2本、三塁打1本をマーク。
2500安打のマイルストーン達成はならず
シーズン開始前、通算2,500安打のマイルストーン達成の期待も高まりましたが、ショートシーズンになったこともあり、2,355安打から33安打の上積みで、2,388安打に終わりました。
2019年に左手首を骨折
なお、ニック・マーケイキスは2019年7月26日のフィリーズ戦で、左腕コール・アービンの投げたインハイの4シームを左手首に受けて骨折。ちょうど打ちに行こうかと腰を回転してしまったので、ホーム側の左手首で受けてしまいました。これにより、9月12日まで48日間離脱。この間に20から30安打ほどもし放っていたとすれば、もう少し2,500安打に近づいていたかもしれませんね。もっとも、2020シーズンがフルシーズンであればという前提も必要になります。
アマ時代は二刀流だったニック・マーケイキス
ニック・マーケイキスは1983年11月17日生まれの37才。高卒時の2001年にレッズから35巡目指名を受けましたが、これを拒否。ジュニア・カレッジに進みました。
ジュニア・カレッジで無双
2002年、ジュニア・カレッジに進んだニック・マーケイキスは打っては、DHとして74試合で打率.455、SLG .885、17HR をマーク。 また、投げては11勝3敗で91イニングで98 Kをマーク。ERAは4.53ではありました。ほぼ無双ぶりを発揮。2002年のジュニア・カレッジのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーの輝くほど。2002年、やはりレッズからラブコールを受け、今度は23巡目で指名されるもやはり拒否。
翌2003シーズン。マーケイキスはさらにグレードアップ。ピッチングでは12勝0敗で、前年悪かったERAがなんと 1.68 に改善。さらに、奪三振は160。また、打っては打率 .439、 21HR、RBI 92をマーク。もう手がつけられない状態でした。
2003年オリオールズ1巡目
そして2003年、オリオールズから1巡目指名を受け、プロ入り。全体7位の指名です。
そしてブレーブスに移籍したのは2015年から。ちょうどブレーブスがリビルドで大苦戦していた時期ですね。
GG賞3度、SS賞1度
プロ入り後は打者に専念することになりました。後述しますが、投手をやったことも。2006年にメジャーデビュー。筆者などはニック・マーケイキスと言えばオリオールズのイメージの方が強いです。
ルーキー1年めから147試合に出場。いきなり、打率.291をマーク。
キャリア15年間、ほぼヘルシー
マーケイキスのキャリアで驚くのはその出場試合の多さ。どのシーズンもほぼ全試合に近い出場数を誇ります。唯一100ゲーム強だったのは、上述した2019年と2012年。2012年はCC・サバシアから死球を受け骨折。104試合にとどまりました。そのような不慮の事故が無ければずっと出続けていたという鉄人でもあります。
その勲章が以下のアウォードやスタッツにあらわれています。
- オールスター出場: 1度(NL 2018)
- ゴールドグラブ賞:3度受賞 (2011/OF-AL、2014/RF-AL 、2018/RF-NL)
- NL シルバースラッガー賞受賞:1度 (2018)
- シーズン20HR以上: 2度 (2007 & 2008)
- シーズン100 RBI以上: 2度 (2007 & 2009)
- シーズン100 Runs Scored: 1度 (2008)
- 通算:2,154試合出場/ 9,321 PA/ 8,302 AB
- 通算成績:打率.288、OBP .357、SLG .423
- 通算安打:2,388 (二塁打:514、三塁打:22、HR:189)
- 通算RBI :1,046
- 通算BB:891(平均93 BB/シーズン)
2018年がキャリアハイという凄さ
ニック・マーケイキスのすごいところは今から3年前の2018年にキャリアハイをマークしたことです。キャリアハイと言ってもアウォードの点ですが、この年、GG賞とSS賞をダブルで受賞。そしてオールスターにも初めて選ばれました。
2004アテネ五輪出場
なお、特筆としてはまだデビュー前で、2004年のアテネ五輪でギリシャ代表として出場したこと。なお、ジョン・モロシ氏によれば、この時のチームメイトにクレイ・ベリンジャーという選手がおり、なんとドジャースのコディー・ベリンジャーのお父さんだったようです。
ベリンジャーのお父さんは1968年生まれ、マーケイキスは上述のように1983年生まれですから、だいぶ年上です。当時、ベリンジャーのお父さんは35才、マーケイキスは20才ですね。
Nick Markakis international baseball fact: He played on the Greek Olympic Team at the 2004 Athens Games alongside Clay Bellinger, father of Cody. 🇬🇷 @WBSC @olympicchannel @MLBNetwork @Dodgers @Orioles @Braves @Cut4
— Jon Morosi (@jonmorosi) March 12, 2021
クレイ・ベリンジャーは1999年から2002年までメジャーでプレー。OFで右バッター。ヤンキースで3シーズン、エンゼルスで1シーズンを過ごしています。
この時、金はキューバ、銀はオーストラリア、銅が日本です。日本は、ギリシャ戦では清水直行投手が先発し、13−4で勝利しました。
野球の怪物のような選手が1人またいなくなりましたね。そして、『マネー・ボール』の物語に登場する世代がまた1人いなくなりました。
15シーズンもの長い間、お疲れ様でした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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