RIP:オクタビオ・ドーテル
現地2025年4月8日、複数のメディアによりますと1999年から2013年までMLBで15シーズンを過ごし、主戦リリーバーも務めたこともある右腕のオクタビオ・ドーテル(Octavio Dotel)が母国のドミニカ共和国で不慮の事故でお亡くなりになりました。51歳。引退してからまだ12年ほどしか経過しておらず、2000年から2010年の間にかなり名を馳せた投手でしたので、ショッキングなニュースとなりました。
施設の屋根が崩落
ドミニカ共和国の複数の報道機関が報じたところによりますと、サントドミンゴのクラブ「ジェットセット」の屋根が現地8日(火)の早朝に崩壊。AP通信の情報では、8日の時点で、少なくとも98人が命を落とし、200人近くが負傷したとのことでした。
亡くなった方々の中に元MLBのオクタビオ・ドーテルも入っていたことをMLBも確認しました。
倒壊当時、この施設では数百人が集まるコンサートが開かれており。何十人もの人々が生きて引き揚げられたものの、多数の方々がお亡くなりに。現場はかなり混乱しており、その数字も都度変化したようですが、ドーテルは救出までに約11時間閉じ込められたとされ、当初は一命を取り留めたものの、病院に搬送後に死亡が確認されました。
メジャー15シーズン、13クラブで活躍

オクタビオ・ドーテルは10年以上メジャーで投げ、様々な球団を渡り歩いたため、メジャー・ファンにはおなじみの存在でした。筆者などはその名前の響きが好きでよく覚えております。お名前の発音はドテルなのかもしれませんが、同時の実況ではドーテルと言っていたように思います。
1999年にメッツでメジャーデビューし、2000年シーズンを前にアストロズにトレードされ、しばらくはローテーションとブルペンの双方でスイング・ロールとして稼働。デビュー3年目の2001年にはほぼリリーフ1本となり、その後は主戦のリリーフにとして成功を収めました。2001年は61試合に登板して105イニングを投げ、ERA 2.66。
アストロズには2000年から2004年6月まで在籍していましたが、この4シーズン半の活躍が凄まじかったのです。特に2002年はなんと83試合に登板し、97.1イニングを投げ(リリーフですよ!)、ERAはなんと1.85。この年はクローザーではありませんでしたが、この人が出たらチャンスは潰える、そんな強烈なリリーバーでした。
2004年の6月に3チームトレードでアスレチックスに移籍。アスレチックスでは1シーズン半で60試合に登板。その後はジャーニー・マンとなり、2008年にはホワイトソックスの地区優勝に貢献しました。
メジャー通算15シーズンで、758試合に登板。951.0 IPでSOは1143、ERAは3.78。
御冥福をお祈りします。
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