2000年前半に活躍
現地2022年2月9日、アスレチックスなどで活躍したジェレミー・ジアンビ(Jeremy Giambi)が亡くなりました。47才の若さ。
ジェレミー・ジアンビはジェイソン・ジアンビの弟で、2000年前半に活躍した左投げ左打ちのOF、DH、1Bを守っていた選手です。
We are heartbroken to learn of the passing of a member of our Green and Gold family, Jeremy Giambi. We offer our condolences to Jeanne, Jason, and his family and friends. pic.twitter.com/sBSEyRb2z4
— Oakland A’s (@Athletics) February 9, 2022
プライバシーを尊重
ジェレミー・ジアンビが亡くなったことを公表したのはエージェントのジョエル・ウルフ。
AP通信によると、9日午前11時30分ごろ、通報を受けた警官が、ロサンゼルス東部のクレアモントにあるジェレミー・ジアンビの両親の家に急行。すでに亡くなっているのを確認したとのことです。ロサンゼルス郡検視局が死因を特定するとのことでしたが、エージェントのジェエル・ウルフは、遺族からプライバシーを尊重してもらいたいとの要望を受けたとのことで、詳細は明らかになっていません。
追記(現地2022年2月11日)
現地2022年2月11日、ロサンゼルス郡検視官事務所がジェレミー・ジアンビの死因を公表しました。ガンショットによる自殺ということです。
自殺に至った原因はさすがにプライバーかと思いますが、自殺はなんとか思いとどまっていただきたかったです。お悔やみ申し上げます。
ジェレミー・ジアンビとは
ジェレミー・ジアンビは、1974年9月30日生まれの47才。1995年のドラフトでタイガースから44巡目指名を受けるも拒否して大学に残り、翌年の1996年、ロイヤルズから6巡目指名を受けてプロ入り。
デビューは2年後の1998年で、23才の時でした。
ロイヤルズで2シーズンを過ごした後、2000年2月にアスレチックスにトレード。アスレチックスには2年半在籍し、2002年にはフィリーズへ移籍。2003年にレッドソックスで1シーズンを過ごし、これがメジャーでの最後のシーズンとなりました。
2001年、2002年(OAK&PHI)にそれぞれ124試合に出場。打率が良かったのは2001年で371-105で.283をマーク。また、2002年には20HRをマーク(OAKで8HR、PHIで12HR)。
メジャー・ファイナル・イヤーとなった2003年のレッドソックスでは、打率.197と苦しみました。
通算成績は、メジャー6シーズン、510試合で打率.263、52本塁打、209RBI。
ジーターのスーパー・バックアップでHRでアウト
ジェレミー・ジアンビで有名なシーンは盛りたて役となってしまったプレーで恐縮なのですが、やはりジーターのスーパー・バックアップ。この時、本塁でアウトになったのがジェレミー・ジアンビでした。
19 years ago today, Jeremy Giambi should’ve slid. pic.twitter.com/za9B4XDj4w
— Cut4 (@Cut4) October 13, 2020
筆者はこのプレーを見た時、「なんでそこに!」と驚いたものです。大好きなプレーのうちの1つです。
ただ、NPBの現役、引退も含めたSS経験者が見た時、このプレーにクエスチョン・マークをつけた人が多かったのは、意外でもありました。もっともこのシーンだけで判断せざるを得なかったので、流れや選手の特徴などインプットすべき要素がわからないのは前提ではありましたが。また、次打者のスライディングの指示がなかったのではという指摘もありました。
左の強打者
ジェレミー・ジアンビは2002年にアスレチックスとフィリーズで20HRを放っているように強打の左打者でもありました。HRは豪快でしたね。
RIP Jeremy Giambi. I’ll never forget the 2002 Phillies. pic.twitter.com/yPvhMTM4be
— Did the Phillies lose? (@DidthePhilslose) February 10, 2022
Peds使用も正直に告白
2005年3月、ジェレミー・ジアンビはカンザスシティ・スター紙に、現役時代にステロイドを服用していたと告白。自ら告白をした最初の有名なメジャーリーガーのひとりとなったこともありました。また、その前の2003年12月にBALCO訴訟というのがありました。BALCOとは”The Bay Area Laboratory Co-operative のことで、カリフォルニアのベイ・エリアでプロアスリートにPedsを供給していた団体のことで、スキャンダルとして裁判が行われていたのです。そこで兄の ジェイソン・ジアンビとともに連邦大陪審に対してPedsの服用を認めた証言をしたことが記録として残っています。なお、兄のジェイソン・ジアンビは2014年までプレーしました。
47才の若さで亡くなったジェレミー・ジアンビ。プロでは兄ほど活躍できませんでしたが、大学時代はカリフォルニア州立大学フラートン校でカレッジワールドシリーズを2連覇しています(1994/95)。
RIP、安らかに。
お読みいただき、ありがとうございました。
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