まさに記憶に残る選手、しかも守備で!
現地2022年5月20日、元サンフランシスコ・ジャイアンツの2Bで、2014年のジャイアンツのワールドシリーズ・チャンプに貢献したジョー・パニックが引退を表明しました。31才での決断です。
ジョー・パニックはジャイアンツ・ファンにとても愛された内野手。ここ10年で最も人気のあった選手の一人と言っても過言ではありません。引退の表明はひっそりと行われましたが、SNSをはじめ、彼の功績を讃える声援は大きなものとなりました。
周囲に感謝
ジョー・パニックは、2011年から始まった10年間に及ぶプロ生活でどれだけ多くの素晴らしい人々に出会ったかを述べ、”ジャイアントに入り、育ててもらったことに感謝していると述べています。
現在は妻のブリタニーさんと7ヶ月になるお嬢さんと3人で、初めて遠征のない水入らずの生活を楽しんでいるようです。
ブランドン・クロフォードとの最強デュオ
2000年代に入り、色々な素晴らしい二遊間がMLBで誕生しました。筆者が最も好きなのは、フィリーズのジミー・ロリンズとチェイス・アトリーの2人なのですが、当時はかなりトリッキーな動きをした2人も、今となってみればデフォルトのような動きでもあります。彼らの場合、打球が飛べばお客さんが喜ぶ、そんなデュオであったと思います。
2010年代に入ってからも素晴らしいデュオがいくつも形成されましたが、その中で特に際立っていたコンビがジャイアンツのブランドン・クロフォードとジョー・パニックのデュオを挙げて良いと思います。アメリカでは1Bのブランドン・ベルトも含めて、この3人がここ10年のうちで、最強の内野布陣であったと言う人もいるほど。
ジョー・パニックとは?
ジョー・パニックは1990年10月30日生まれの31才。もともとはニューヨーク州のヨンカーズの生まれで、高校、大学もニューヨークのクイーンズにある学校に進学しました。大学はセント・ジョンズ大学クイーンズ・キャンパス。注目されやすい土地柄もあり、たくさんのMLBプレーヤーを輩出している大学です。現役では元レッズ、現ロイヤルズのアミール・ギャレットもここの出身。
ジョー・パニックは2011年にジャイアンツから1巡目指名(全体29位)を受けてプロ入り。実はサプライズ指名とも言われたくらい上位指名は驚きをもって伝えられました。しかし、ジャイアンツのスカウトは正しかったのですね。
そのわずか3年後の2014年には2010年から始まるジャイアンツの偶数年でのワールドシリーズ・チャンプに大きく貢献する選手となりました。
2014年はシーズン途中からの参戦でROY6位
ジョー・パニックがデビューしたのは2014年5月22日の@ロッキーズ戦。9回の守備固めでの出場。先発出場となったのは、メジャー3戦目の6月22日の @ Dバックス戦から。このゲームで二塁打を含むマルチヒットを放ち、そこからブルース・ボーチー監督がずっと使い続けました。
残りのシーズンで打率.305をマーク。シーズンの半分以下しかプレーしていないにもかかわらず、NL ROYの6位に入ったのです。元SSだったジョー・パニックは、すぐにブランドン・クロフォードと意気投合。MLB屈指の守備的なデュオを形成。
2014年WS Gm7でのグラブフリップ
ジョー・パニックをいつまでもファンの心に焼き付かせているプレーはやはり2014年のワールドシリーズのGame7でのグラブフリップ。
ロイヤルズがGG賞に複数人が入り、最強のリリーフ陣を形成して臨んだ2014年のワールドシリーズ。ロイヤルズはその翌年にチャンプに輝くことになるわけですが、その1度目のチャレンジはジャイアンツとのワールドシリーズでした。
このワールドシリーズはマディソン・バンガーナーのワールドシリーズでもあったわけですが、チャンプを大きく引き寄せたのはジョー・パニックのプレーと言っても過言ではありません。
3勝3敗で迎えたGame7。2-2のタイスコアで迎えた3回裏。ロイヤルズは先頭のロレンゾ・ケインがRF前シングルで出塁。ここで1点を与えることはロイヤルズへ流れが傾くというそんな状況でした。
そしてエリック・ホズマー(現SDP)が放ったCF前に抜けようかという当たりをジョー・パニックがダイブ。グラブ・フリップでブランドン・クロフォードにトスし、ダブルプレーを成立させました。VTR判定になったほどの微妙なタイミングでもありました。このプレーは史上最も記憶に残るディフェンスであったとも言われています。
そしてその後は、4回表から投入されたケルビン・ヘレイラからマイク・モースがタイムリーを放ち、勝ち越し。中盤に上げたこの虎の子の1点をジャイアンツがマディソン・バンガーナーのリリーフ登板などもあり守り抜いて見事にワールドシリーズ・チャンプに輝いたのでした。
2015年以降のパニック
翌2015シーズン、ジョー・パニックは100試合に出場。打率.312、OPS.855をマーク。フルタイムのメジャーリーガーとして最初のシーズンでオールスターにも選出されました。
2016年には2BとしてNLゴールドグラブ賞を受賞。打撃でも10本塁打を放ちました。ブランドン・クロフォードとブランドン・ベルトとともにジャイアンツは以降数年間は鉄壁の内野を築くかに見えましたが、ジョー・パニックは怪我の影響もあり、苦戦。
2019年には新しいフロントオフィスとなったザイディ社長が連れてきたドノバン・ソラーノにポジションを奪われるようになりました。ジャイアンツは2019年7月のTDLでレッズからスクーター・ジェネットを獲得。また、ブルワーズからはマウリシオ・ドゥバンを獲得。
こういった背景もあり、ジョー・パニックはDFAとなり、2019年8月7日にリリースとなりました。
故郷NY(メッツ)でプレー
ジャイアンツをリリースされた2日後の2019年8月9日、ロビンソン・カノーを怪我で欠いたばかりのメッツがジョー・パニックを獲得。地元出身のパニックはメッツで39試合に出場し、OPS.738をマーク。短縮シーズンとなった2020年はトロント・ブルージェイズでユーティリティ内野手として活躍。2021年ブルージェイズとマイアミ・マーリンズでプレー。
まさに記憶に残る選手
ジョー・パニックは8年間のMLBキャリアで打率.264、OBP .328、SLG .372.、OPS 700をマーク。HRは42本。そのうち36本はジャイアンツ時代のものです。10.1%のSO%は2014年以降にデビューした打者の中では、6番目に低い奪三振率です。
このようにジョー・パニックは数字として際立っていたわけではありません。しかし、非常に愛され、まさに記憶に残る選手でもありました。その一つには名前の響きの良さもあったかもしれませんね。
お疲れさまでした。現場に呼ばれそうな気がしますね。
お読みいただき、ありがとうございました。
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