監督での勝利が通算2,000勝!
現地2022年5月3日、ミニッツメイド・パークで行われたマリナーズ@アストロズ戦で、アストロズが4-0のスコアで勝利。西地区ライバルのマリナーズに勝利し、今季13勝11敗とし、ア・リーグ西地区2位で、この日レッドソックスに敗れた首位エンゼルスに1.5ゲーム差に迫る勝利。
この勝利は指揮を執るアストロズのダスティー・ベイカー監督にとって通算2,000勝となり、現時点でMLBの監督勝利数では12位、そして黒人監督として初めて2,000勝を達成しました。
おめでとうございます!
見事な試合運び
2000勝目は、マリナーズ先発のクリス・フレクセンとアストロズ先発で、今季途中からリリーフから先発に回ったクリスチャン・ハビエルの投手戦の様相。4回裏にヨーダン・アルバレスがHRを放ち先制。6回裏にはカルロス・コレアの後のSSを引き継いているジェレミー・ペーニャが2点タイムリー・シングルで中押し。7回裏にはチーム・リーダーのホセ・アルトゥーベにHRが出て4-0とリード。また、クリスチャン・ハビエルの後をリレーしたリリーバー陣もマリナーズ打線を封じ、結果、4-0のシャットアウトで勝利。2,000勝を飾るにふさわしい素晴らしいゲーム展開での勝利となりました。
71才での就任
ダスティー・ベイカー監督がアストロズの監督に就任したのは、2020年1月のこと。イリーガルなサイン・スティーリング・スキャンダルで空席となっていたアストロズの監督のポジションを埋める形となりました。
ザワザワする中でそれを抑える力のあるのは、オールド・スクールのダスティー・ベイカーに託すのはいい選択でもありました。
健康問題もクリアー
ダスティー・ベイカー監督は、アストロズ就任前には以下のクラブで指揮を執りました。
- サンフランシスコ・ジャイアンツ(1993-2002): 10年
- シカゴ・カブス(2003-2006):4年
- シンシナティ・レッズ(2008-2013): 6年
- ワシントン・ナショナルズ(2016-2017): 2年
ジャイアンツでは1997年と2000年に地区優勝。1997年はNLDSでマーリンズに敗退。2000年はNLDSでメッツに敗退。カブスでは2003年に地区優勝。NLDSではブレーブスに勝ったものの、NLCSでマーリンズに敗退。
レッズでは2010年と2012年に地区優勝。2010年はNLDSでフィリーズに敗れ、2012年はNLDSでジャイアンツに敗退。ナショナルズでは2016年と2017年に地区連覇を果たし、2016年はNLDSでドジャースに敗退。2017年もNLDSで敗退。カブスに敗れました。
このように実績十分だったものの、レッズ時代の2012年にはシーズン終盤の9月半ばに不整脈で緊急入院し、現場の指揮をベンチコーチに任せるという事態も発生。
アストロズ就任時の2020シーズンで71才。健康問題だけが心配でもありました。しかも、風当たりの厳しいシーズンでの指揮です。
2020年にALCSへ
短縮シーズンとなった2020年は、シーズンを29勝31敗で2位でフィニッシュ。ワイルドカード・シリーズからの出場となり、ツインズを2勝0敗でスイープ。
ALDSでは地区優勝したアスレチックスと対戦。3勝1敗で勝ち抜き、ALCSへ。ALCSではレイズと7戦までもつれる死闘を演じたものの一歩及ばず、ワールドシリーズ進出には及びませんでした。
2021年はワールドシリーズへ
2021シーズンは95勝67敗で地区優勝。ALDSではホワイトソックスを3勝1敗で下し、ALCSではレッドソックスに2勝1敗とリードを許すも、3連勝し、ワールドシリーズへ。
ワールドシリーズではブレーブスと6戦まで対戦。あと一歩及ばず。
2021年はサイン・スティーリング以降のシーズンでもっとも戦力が整っていたシーズンで、ワールドシリーズ・チャンプを狙うならこのシーズンというチャンスでもありましたが、惜しくも叶わず。
カルロス・コレアが抜けた2022シーズンではありますが、バーランダーの復帰もあり、盛り返している最中でもあります。
監督通算勝利数
なお、ダスティー・ベイカー監督は2,000勝で12位なのですが、ランク11位のブルース・ボーチーが2003勝のため、すぐにこれを超えることになりそうです。現地2022年5月3日時点での通算勝利数ランクはこちら。
コニー・マックの53年
ボビー・コックス、ジョー・トーリ、ブルース・ボーチーはよくご存じかと思います。そしてなんとかスパーキー・アンダーソンの名前をご存じの方も。後は古い時代の方ばかりですね。
歴代1位の3,731勝の、もはや破ることは困難な勝利数を誇るコニー・マックですが、監督歴53年というのは本当です。From/toの年代の記載から年数が合わないのは、1894年から1896年までの3年間は、ピッツバーグ・パイレーツのプレイング・マネージャーをしていたからです。
監督として専念したのは、1901年から。これが監督として4シーズン目のことです。そこから1950年までずっとフィラデルフィア・アスレチックスで指揮を執り続けました。最後のシーズンは87才です。
メジャー・リーグ、深いです。知らないことがまだまだたくさんあります。
お読みいただき、ありがとうございました。
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