世代最強リリーバーの一人
現地2022年3月24日、元クリーブランド・インディアンスのリリーバーで、今オフはカージナルスからFAとなっていたアンドリュー・ミラーがセントルイスの地元誌の記者を通じて引退を表明しました。
キャリア16シーズン、36才での決断です。
支えてくれて人々に感謝の言葉
ミラーはその引退コメントの中で、キャリアを通じて様々な形で支援してくれた人々に感謝の念を捧げています。
The list of people who took me aside, put their arm around me, made me laugh when I needed to, or taught me something is endless, It’s safe to say I would have been faced with the next chapter much earlier on if it weren’t for them. As someone who thought their career was practically over in 2010, to be able to experience everything I did along the way is incredible. You shouldn’t ever hear complaints from me. It was a heck of a run.”
St-Louis Post-Dispatch
「そばに呼んでくれた人、腕を組んでくれた人、必要なときに笑わせてくれた人、何かを教えてくれた人・・・数え上げればキリがありません。彼らがいなければ、もっと早い段階で次の章に直面していたといっても過言ではありません。2010年にキャリアがほぼ終わったと思っていた私にとって、その後の信じられないほどのすべての体験を可能にしてくれたのはその方々のおかげです(意訳してます)。文句など言うわけがありません。とんでもないほど素晴らしいことでした(この辺も意訳しています)。」
アンドリュー・ミラーのキャリア
1985年5月21日生まれのアンドリュー・ミラーは2003年、フロリダの高校時代にデビルレイズから3巡目指名を受けたものの、拒否。ノースカロライナ大学チャペルヒル校(University of North Carolina at Chapel Hill)に進学し、2006年にタイガースから1巡目指名(全体順位6位)を受けてプロ入り。
この年の全体1位はルーク・ホッチェバーで、ロイヤルズで46勝を上げた右腕。他の同期はと言うと、全体3位にエバン・ロンゴリア(デビルレイズ)、クレイトン・カーショウ(ドジャース)が全体7位、ティム・リンスカム(ジャイアンツ)が全体10位、マックス・シャーザー(Dバックス)が全体11位でした。
デビューはドラフトイヤーの2006年。この年は3試合、10.1イニングで0勝1敗、ERA 6.10。
2007年は先発として13試合に登板、5勝5敗、ERA 5.63、BB9 5.5とコントロールに課題のあるプロスペクトでした。
ドラフト翌年にミギーとのトレードでフロリダへ
タイガースから期待されていたアンドリュー・ミラーでしたが、ここで編成の渦に巻き込まれます。ミゲル・カブレラがかつてマーリンズにいたことをご存じの方は多いと思います。
2007年12月、タイガースは当時のフランチャイズ史上最大のトレードと言われたミゲル・カブレラをトレードで獲得することに。その重要なトレード・チップの一人が1巡目のアンドリュー・ミラーだったのです。
この時はタイガースからアンドリュー・ミラー、キャメロン・メイビンをはじめ6名が動き、マーリンズからもミゲル・カブレラと左腕のドントレル・ウィルズの2名が動くという凄まじい規模のトレードとなったのでした。
ドントレル・ミルズは2003年のROY、2005年には22勝を上げ、サイ・ヤング賞2位に入った左腕で、メジャーで計72勝を上げました。
マーリンズに移籍したアンドリュー・ミラーは2008年から2010年の3年間で、58試合、41先発、220.0イニングを投げ、ERAは5.89。HR9は0.8とよかったものの、BB9は5.1と伸び悩むことに。
これが上記のコメントにも出ていた2010年でキャリアが終わったのではないか?と思うほど、うまく行かなかった時期でもあります。
ボストンで開花
2010年11月、マーリンズはアンドリュー・ミラーをレッドソックスへトレード。マーリンズへ移籍したのは左腕のダスティン・リチャードソン(MLBキャリアは2010年で終了)。
2011シーズンは先発とブルペンの双方を経験。ERA 5.54、BB9 5.7と数字は前年と同じような成績に。
変わったのは2012シーズンから。このシーズンからリリーバー専任となり、53試合で、ERAは3.35に。
レッドソックスがワールドシリーズ・チャンプに輝いた2013年は7月に足の怪我があり、7月6日でシーズンエンディングとなりましたが、前半だけで37試合に登板し、ERA2.64と大いに勝利に貢献しました。
E・ロッドとのトレード
2014年もレッドソックスに残ったアンドリュー・ミラーでしたが、クラブはジャコビー・エルズベリーが抜けたこともあり、前半戦で優勝の見込みは無くなったことから、トレード・デッドラインで、アンドリュー・ミラーをオリオールズにトレード。
この時、レッドソックスが獲得したのが、後の左のエースとなるエドゥアルド・ロドリゲスです。彼が今季、タイガースで投げるのも、何かの縁を感じざるを得ません。
運命のインディアンス(ガーディアンズ)へ
2014年後半にオリオールズへ移籍したアンドリュー・ミラーは23試合で、ERA 1.35の抜群の働きを見せ、ポストシーズンに進出。ALDSではタイガースと対戦。ミラーは2試合、3.1イニングを投げ、ノーヒット・ピッチング。ロイヤルズとの対戦となったALCSにおいても、3試合、4.0イニングを投げ、与えたヒットはたったの1本。両シリーズを通じ、ERA0.00をマーク。
この際立った活躍などもあり、オフシーズンにはヤンキースと4年/$36Mでサイン。
2015年、ヤンキースはデービッド・ロバートソンをFAでホワイトソックスへ流出。アンドリュー・ミラーはデリン・ベタンセスとクローザー・ロールを争う形になりましたが、結局、アンドリュー・ミラーがその役を担い、シーズン60試合、61.2イニングを投げ、36セーブをマーク。ERAも2.04と素晴らしいシーズンにしました。ポストシーズンではワイルドカードでアストロズに敗れるも、登板したミラーはまたしてもヒットレスに抑える好投。ポストシーズンのERAは依然0.00。
2016年、ヤンキースはレッズからアロルディス・チャップマンを獲得。アンドリュー・ミラーとのダブル・クローザーとも言われました。しかし、チャップマンはDVでサスペンションを科せられ、アンドリュー・ミラーがまたしてもクローザーに。しかし、このシーズン、開幕で躓いたヤンキースは前半を終えて4位。
これにより、ブライアン・キャッシュマンGMはリビルドを宣言。トレード・デッドラインでアロルディス・チャップマンをカブスに、アンドリュー・ミラーをインディアンスに出します。この時、インディアンスからヤンキースに移籍したのは、J.P.ファイヤライゼン、クリント・フレイジャー、ベン・ヘラーそしてジャスティス・シェフィールドです。
フランコーナの絶妙な起用
インディアンス移籍後、26試合で29.0イニングを投げたアンドリュー・ミラーは、ERA1.55とこれまた抜群の安定感を見せました。
ALセントラルを制したインディアンスはALDSでイーストを制したレッドソックスと対戦。コディー・アレンという安定したクローザーを有していたインディアンスは、アンドリュー・ミラーを自由自在に起用。
アンドリュー・ミラーはALDSでは2試合に登板。いずれもイニングまたぎの2イニングを任せ、コディー・アレンに繋がせ、3勝0敗でALCSへ進出。デービッド・オルティズはこれがラスト・ゲームとなりました。
ALCSで鬼のリリーフ
そして迎えたブルージェイズとのALCS。このシリーズは4勝1敗でインディアンスが制した訳ですが、インディアンスがブルージェイズを圧倒したのはやはりアンドリュー・ミラーの働きが大きかったです。
アンドリュー・ミラーは4戦に登板。ゲーム1では7回途中から8回の1.2イニング、ゲーム2でも7回と8回の2イニング、ゲーム3では8回2アウトから9回までの1.1イニング、そしてゲーム5では6回から8回までの2.2イニングに登板。4試合で7.2イニングを投げ、許した安打は3安打のみ。もちろんスコアレスで、奪った三振は14! ポストシーズンのERAは依然0.00。
この大車輪の活躍により、ALCS MVPを獲得しました。
カブスとのワールドシリーズでも、いずれもイニングまたぎで登板。ゲーム4で1失点、ゲーム7で2失点を喫したのみ。さすがに最後はALCSほどの凄みは消えましたが、素晴らしい投球を披露しました。このシリーズではカブスが108年ぶりのチャンプに輝きましたのはご承知の通りです。
その後
インディアンスには2018年まで在籍。2017年もシーズンを通して、ERA 1.44と素晴らしい数字をマークしました。
2018年12月、アンドリュー・ミラーは2年/$25Mでカージナルスへ移籍。
カージナルス移籍後は、2019年に73試合に登板するも、ERAは4.45。その後も故障も続き、ベロシティーも落ちました。
2021シーズンは40試合に登板し、ERAは4.75。さすがにこれまでの疲労と年齡要素が一気に出てきたという数字になってしまいました。
リリーフの概念を元に戻した男
アンドリュー・ミラーの功績は、柔軟なブルペン起用を実現したこととも言われています。それまでクローザーはブルペンで一番いい投手を持ってきて、1イニング限定という概念が固まっていましたが、ミラーの2016年のポストシーズンの活躍はその概念を変えました。
功績にはフランコーナの柔らかい頭もあった訳ですが、ブルペンで一番いいミラーがゲームの要所で登板し、クローザーに渡せるまでゲームを落ち着かせるということを実現。
2016年以降、ブルペンの重要さを痛感したクラブも多かったと思います。
選手会でも活躍
2021年12月から始まり、99日も費やしたロックアウトですが、アンドリュー・ミラーの名前は団体交渉の際に度々登場。
長年、選手会の代表を務め、執行委員会のメンバーでもあったミラーは、2022-26の新CBAの施行により、現役選手に大きな遺産を残しました。
ミラーが選手会の活動に費やした時間は計算では1日に電話で16時間を費やしたほどの割合になったと言います。
フィールド外でも尊敬を集めたアンドリュー・ミラーは、いつかアービン・ミラー賞を獲得するかもしれませんね。それくらい選手会に大きく貢献しています。
キャリア16シーズン、7クラブで、612試合、829.0イニングに登板。55勝55敗、63セーブ、ERA 4.03。奪三振は979。SO9は10.6。
インパクトのある活躍を見せてくれて、ありがとうございましたとお伝えしたいです。お疲れさまでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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