ドジャースの伝説的左腕
現地2024年10月22日(火)夜、ドジャースの伝説的な名投手、フェルナンド・バレンズエラ(Fernando Valenzuela)がお亡くなりになりました。享年63才。
詳しい死因は明らかにされていませんが、フェルナンド・バレンズエラは10月に入り、健康問題を理由に放送の仕事から一旦離れて入院しておりました。回復すれば2025年に再びブースに戻ることが約束されていただけにまさに突然の訃報でした。
お悔やみ申し上げます。
1981年WSの縁
まだまだ年齢的にも若いフェルナンド・バレンズエラの訃報には驚かずにはいられませんが、不思議な縁だと思うのは、後輩たちがヤンキースとのワールドシリーズを決めた後にお亡くなりになったという点。しかもこのシリーズはフェルナンド・バレンズエラが大活躍した1981年以来のマッチアップになったのですから、余計に不思議な縁を感じます。
ドジャースは現地25日から始まるワールドシリーズで彼を称える時間を設けるとのことです。
愛称”El Toro”
フェルナンド・バレンズエラのニックネームは”El Toro(エル・トロ)”。”El Toro”はスペイン語で「雄牛」という意味で、キャリア初期にファンから名付けられました。雄牛はヒスパニック文化圏では男らしさの象徴であり、たくましい体から強気の投球で相手を圧倒する姿は、太くたくましい体躯を持ちながら優雅に攻撃する雄牛そのものであるというところから付けられました。
ロブ・マンフレッド・コミッショナーは彼の死を悼み、「フェルナンド・バレンズエラは、同世代で最もインパクトのある選手の一人だった。その独特な投球スタイルで、ドジャース左腕のルーキー・シーズンは、米国と彼の母国メキシコで大きな興奮を巻き起こし、『フェルナンドマニア』と呼ばれるようになった。1981年のシーズンは、フェルナンドがナショナル・リーグの新人王、NLサイ・ヤング賞、シルバー・スラッガー賞そしてワールド・シリーズ・チャンピオンに輝いたことで、史上最も輝かしい投手時代のひとつに数えられている。」と述べています。
キャリア
フェルナンド・バレンズエラは1961年11月1日生まれでメキシコ出身。1979年にドジャースと契約した。当時まだ18歳でしたが、ドジャー・スタジアムで投げるようになるまでそう時間はかかりませんでした。
バレンズエラはマイナーリーグで30試合に登板した後、1980年にセプテンバー・コールアップでMLBデビュー。ブルペンでデビューした19歳のバレンズエラは、この年、10試合、17.2イニングを投げてスコアレスに抑え、シーズン・エンド。大きな期待を感じさせる投球でした。
1981年のバレンズエラ
そして1981年、ドジャースは左腕のジェリー・ロイス(Jerry Reuss)が負傷したため、フェルナンド・バレンズエラを開幕ローテーションに抜擢。
キャリア初先発となったアストロズ戦で被安打で完封したのに続き、ジャイアンツ戦では10奪三振の完封。その後、3試合連続のシャットアウトを達成。4月は45イニングを投げて5勝0敗で1失点のみという脅威の投球を披露。
# | Opp | Rslt | Dec | DR | IP | H | R | ER | BB | SO | HR | ERA |
1 | HOU | W,2-0 | W(1-0) | 99 | 9.0 | 5 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0.00 |
2 | @ SFG | W,7-1 | W(2-0) | 4 | 9.0 | 4 | 1 | 1 | 2 | 10 | 0 | 0.50 |
3 | @ SDP | W,2-0 | W(3-0) | 3 | 9.0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0.33 |
4 | @ HOU | W,1-0 | W(4-0) | 3 | 9.0 | 7 | 0 | 0 | 3 | 11 | 0 | 0.25 |
5 | SFG | W,5-0 | W(5-0) | 4 | 9.0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 0.20 |
6 | @ MON | W,6-1 | W(6-0) | 5 | 9.0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0.33 |
7 | @ NYM | W,1-0 | W(7-0) | 4 | 9.0 | 7 | 0 | 0 | 5 | 11 | 0 | 0.29 |
8 | MON | W,3-2 | W(8-0) | 5 | 9.0 | 3 | 2 | 2 | 1 | 7 | 2 | 0.50 |
9 | PHI | L,0-4 | L(8-1) | 3 | 7.0 | 3 | 4 | 4 | 2 | 6 | 1 | 0.91 |
そしてMLBでの最初の8試合の登板をすべて完投し、しかも8連勝をマーク。ERAは0.50。
ビデオ・ゲームのようなスクリューボールは相手打線を翻弄。彼を応援するファンは「フェルナンドマニア」と呼ばれました。
1981年のルーキー・イヤーは、6月中旬から8月第2週にかけてストライキが発生して中断されたため、25先発に終わりましたが、内容がすごいです。完投が11試合、そのうち8試合が完封勝利。シーズン成績は192.1 IPで13勝7敗、ERA 2.48、SO 180。
ポストシーズンではまずアストロズ(当時NL)とのディビジョン・シリーズのGm4に登板し、9イニングを失点1に抑えて完投勝利。ドジャースは3勝2敗でNLCSへ進出。
NLCSではエクスポスに3勝2敗で勝利。フェルナンド・バレンズエラはGm5に先発し、エクスポスト1点に抑え、ワールドシリーズ進出に大きく貢献。ヤンキースとのワールドシリーズとなりました。
ワールドシリーズではGm3に登板。4失点で完投勝利を上げました。ドジャースは2連敗の後に4連勝してゲームを決めています。
キャリアの通算成績
- オールスター出場:6度(1981-1986)
- NL サイ・ヤング賞:1度(1981)
- NL ゴールドグラブ賞: 1度(1986)
- NLシルバースラッガー賞:2度 (1981 & 1983)
- NL 最多勝:1度 (1986: 21勝 )
- NL 投球回数1位:1度 (1981: 192.1 IP)
- NL 奪三振 :1度 (1981:180)
- NL 完投数1位:3度 (1981, 1986 & 1987)
- NL 完封数1位:1度 (1981: 8)
- 15 勝以上のシーズン: 4度 (1982, 1983, 1985 & 1986)
- 20 勝シーズン: 1度 (1986)
- 200 IP以上のシーズン: 7度 (1982-1987 & 1990)
- 200 SO(奪三振)のシーズン: 3 度(1984-1986)
通算173勝153敗、ERA 3.54、SO 2, 074。
御冥福をお祈り申し上げます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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