カムバック賞2度受賞
現地2022年1月17日、ミネソタ・ツインズ、ピッツバーグ・パイレーツなどで活躍し、通算112勝を上げたドミニカ共和国出身の左腕、フランシスコ・リリアーノ(Francisco Liriano )が引退を表明しました。38才での決断です。
”リリアーノ”と初めて聞いた時、あまりの美しい名前にどんな選手かと興味津々になったものです。それがファミリー・ネームであったことも筆者には衝撃的で、見たところヨハン・サンタナと重なって見えたものです。
ジャイアンツでプロ入り
そんなフランシスコ・リリアーノは、ツインズ、パイレーツのイメージが強いですが、プロ入りはジャイアンツでした。2000年9月にアマチュアFAとしてジャイアンツとサイン。16才の時です。
2001年、17才でプロのマウンドに。ジャイアンツの期待のプロスペクト左腕として順調に育っていたのですが、2003年11月、ジャイアンツが捕手のA.J.ピアジンスキーを獲得したトレードで、後にクローザーとして活躍したジョー・ネイサンらとともにツインズへ移籍。ツインズ入りはこのトレードがきっかけだったのですね。
そのピアジンスキーはジャイアンツでは2004年の1シーズンを過ごしたのみです。ちなみに、ジャイアンツの捕手でいけば、バスター・ポージーの1世代前のお話。ポージーのメジャー・デビューは2009年です。
ツインズでサンタナの後継と言われる
ツインズに移籍したフランシスコ・リリアーノは2005年にメジャーデビュー。21才の時でしたから、かなり期待されていた左腕でした。2005年は6試合の登板で1勝2敗。メジャー初勝利を上げました。
実質的なルーキー・イヤーとなった2006年、フランシスコ・リリアーノは28試合に登板し、12勝3敗、ERA 2.16をマーク。夏にはオールスターにも選ばれ、ROYでは3位に入る活躍を見せました。この頃のツインズはヨハン・サンタナの時代で、フランシスコ・リリアーノはヨハン・サンタナの後継と目されていました。
ちなみにヨハン・サンタナは2000年にツインズでデビューし、2007年まで在籍。2003年に12勝を上げて頭角を表し、2004年に20勝でサイ・ヤング賞、2006年にも19勝を上げて2度目のサイ・ヤング賞を受賞。もう無双状態でした。その後、2008年から2012年まではメッツに在籍。
トミージョン手術(2007)
サンタナの後継と言われていたフランシスコ・リリアーノでしたが、2007年にトミージョン手術を受けることに。順調だったのですが、ここで1度目の試練が訪れました。2007年は全休。
2008年は4月半ばに復帰。しかし、5月から8月頭まで約3ヶ月に亘って離脱するなど苦戦。ちょっとリハビリからの復帰が早かったように思います。このシーズンは6勝にとどまりました。
トミージョン手術明けのフルシーズンとなった2009年はコントロールに苦しみ、5勝13敗、ERA 5.80と大苦戦し、まだトミージョン手術からの完全復帰とはなりませんでした。
2010年に1度目のカムバック賞
しかし、翌2010年復調したフランシスコ・リリアーノは31試合で191イニングを投げ、14勝10敗、ERA 3.62をマーク。1度目のカムバック賞を受賞。
ただ、ポストシーズンではALDSでヤンキースに打ち込まれ、ERA6.35と結果は出ませんでした。
2011年にノーヒッター
このまま大投手へというところでもあったのですが、2011年はメカニックを狂わせてしまい、またコントロールに苦しむことに。このシーズンは9勝11敗、ERA 5.09に落ちました。
ただ、2011年5月3日のホワイトソックス戦でノーヒットノーランを達成しています。
翌2012年もコントロールに苦戦。前半戦を終えて3勝10敗。トレードデッドラインではホワイトソックスへ移籍となりました。この時、ツインズがホワイトソックスから獲得したのがエドゥアルド・エスコバーです。
2013年に2度めのカムバック賞
2012年オフにFAとなったフランシスコ・リリアーノは2013年2月にパイレーツとサイン。
FAサイン時のゴタゴタ
パイレーツとは2012年12月に2年/$14Mのディールで合意となっていたのですが、その後右腕に怪我を負ったという噂が。スローイング・アームとは違う右腕の骨折でパイレーツとのディールが消えかかる事態にまで発展。どうやって骨折したかは、バスルームで転んだ説、クリスマスに子供を驚かそうとしてドアに右腕をぶつけて骨折したなど色々な情報が出ましたが、うやむやの状態に。
ただ、ディールはこのまま成立しました。怪我の状態もあり、リリアーノの2013年のパイレーツでのデビューは5月11日まで待たなければいけないはめにはなりました。
ただ、シーズンデビュー後のリリアーノは非常によかったです。2013シーズンはフランシスコ・リリアーノにとってはキャリアを通じて最高のシーズンとなりました。26試合に先発し、161イニングを投げ、16勝8敗、ERAが3.02。
この成績でフランシスコ・リリアーノは再びカムバック賞を受賞することに。
またポストシーズンでもワイルドカードで先発し、レッズに勝利。カージナルスとのNLDSでも6回を被安打3、失点2と好投しましたが、チームはNLDSを突破することができませんでした。
パイレーツには2016シーズンの前半まで在籍。8月1日にポストシーズンを見込んだブルージェイズにトレードで移籍。ポストシーズンではワイルドカードで対戦したオリオールズを相手にクローザーとして登板し、見事に抑えました。レンジャーズとの対戦となったALDSではリリーフに失敗。ブルージェイズはALCSまで勝ち進むも、ALCSでインディアンスに敗れました。リリアーノはALCSでは登板はありませんでした。
ワールドシリーズでも登板
2017年もブルージェイズで開幕を迎えたフランシスコ・リリアーノは、トレードデッドラインでアストロズへ移籍。この時の交換要員が青木選手とテオスカー・ヘルナンデスです。
アストロズでは全てリリーフで登板。20試合でERA 4.40。ポストシーズンではワールドシリーズまでロスター入り。レッドソックスとのALDSではGame3で打ち込まれましたが、ヤンキースとのALCS、ドジャースとのワールドシリーズではおもに1ポイントリリーバーとして結果を残しました。
2018年はタイガースとサインし先発に復帰するも、タイガースのチーム状態の悪さもあり5勝12敗と大きく、負け越し。
2019年は再び、パイレーツに。全てリリーフで69試合に投げ、ERAは3.47。
2020年はフィリーズとマイナーディールを結ぶもメジャー登板はなし。
2021年は2月にブルージェイズとマイナー契約を結ぶも、開幕前にリリースとなり、このままシーズンエンド。そして引退を決意したのでした。
よって、パイレーツでの2019シーズンがメジャー最後の登板となったのでした。
ヨハン・サンタナのようになりそうな雰囲気があったものの、これからというときにトミージョン手術となったのは不運でもありました。これでバランスを崩してコントロールを乱した時期があったのは本当に惜しかったです。ただ、2度もカムバック賞をもらえるくらい良いシーズンをつくったのはさすがに自力はあったなと思います。いいスライダーを投げていましたね。
お疲れ様でした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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