前回1988WSチャンプ監督、安らかに
現地2021年1月7日、ドジャースにとってアイコニックな存在であったトミー・ラソーダ(Tommy Lasorda)元監督がお亡くなりになりました。享年93才。
2020年、32年ぶりにワールドシリーズ制覇を成し遂げたドジャースですが、その1988年、オーレル・ハーシュハイザーを擁してワールドシリーズを制した監督さんでした。
久々となったドジャースのワールドシリーズ制覇を見届けて、お亡くなりになったのは、偶然でしょうか。
ドジャースを愛し、野球を愛した熱い心をもった方の永眠を心からお悔やみ申し上げたいと思います。
野茂さんのMLB挑戦時の監督
我々日本人にとっては野茂さんのMLB挑戦時のドジャースの監督としての印象が強いかと思います。
野茂さんがデビューしたのは1995年。1994年8月12日から始まったストライキは1995年の4月2日に解除。シーズンが始まったのは4月25日からでした。したがってドジャースにおいては1994シーズンは114試合、1995年は144試合しか行われていません。このストライキはお金のことで揉めたストライキだったがゆえにファン離れを起こしました。
そんな中、メジャーリーグを救った一人が野茂さんでした。日本での成功をかなぐり捨てて、ただメジャーで自分の力を試したい、力勝負をしてみたいとアドベンチャーとも言える野心をもってバッターと挑戦。
この年、野茂さんは13勝6敗、ERA2.54、191.1イニング、奪三振236と今で言うなら、マックス・シャーザー並みの投球を見せ、オールスターに出場、ROY受賞、サイヤング賞投票4位という素晴らしい成績を残しました。
野茂さんは、当初勝てずに苦しんだ
その野茂さんはシーズンが終わってみれば上記のような素晴らしい成績を残し、メジャーリーグに爽やかな風を吹かせたヒーロー的存在になり得たものの、初登板から6試合連続で勝てない登板が続きました。5月2日に初登板、5月28日まで地獄の一ヶ月を過ごしました。5月28日には初黒星。
当時、ファンは心配になったのですが、それでも野茂さんを信頼して起用し続け、励ましてきたのがトミー・ラソーダ監督!
その甲斐あって、野茂さんは6月に入って、流れが一転!6試合連続で勝ち星が続き、7月25日に負けがつくまで50日ほど負けなし。ドジャースに勢いをもたらしました。
メジャーへの道を切り開いた野茂さん。そしてそれを大きなところで支えたラソーダ監督は日本のMLBファンにとっても恩人のような方なのです。
野茂さんのデビューイヤーを見ていた世代の人は、大谷選手が苦しもうが、菊池雄星投手が苦しもうが、「初産はそんなもの」という免疫ができています。その意味でダルビッシュ投手が2012年4月9日のマリナーズ戦で初登板、初勝利を上げたのはさすがダルビッシュ投手!と度肝を抜かれたものです。
ラソーダさんの選手時代
話をトミー・ラソーダさんに戻しましょう。トミー・ラソーダさんは1927年9月22日生まれ。サウスポーの投手でした。昔のことですから、1Bも守ったことがあります。
選手としては、1945年から1960年まで14シーズンを経験。ただ、そのほとんどをマイナーで過ごしました。メジャーに上がったのは、1954年から1956年の3シーズンのみ。成績は、26試合で0勝3敗、ERA 6.48。
もともとは1945年、フィリーズとサイン。1946年と1947年は兵役についていました。マイナーでは14シーズンで136勝104敗。メジャーの3シーズンは、1954年、1955年はブルックリン・ドジャース(途中まで)、1956年はカンザスシティ・アスレチックスでプレー。
サンディー・コーファックスの加入でカンザスシティへ
興味深いところですが、トミー・ラソーダさんが1955年にカンザスシティへ移籍した理由が、この年にメジャー・デビューとなったサンディー・コーファックスがその理由だったことです。ラソーダさんはロスターを空けるために、マイナーに降格し、カンザスシティに移籍しました。今で言うなら、DFAからトレードになったという流れですね。
そしてサンディー・コーファックスは、1960年までの6シーズンはぱっとしなかったのですが、1961年に18勝13敗という成績をマークしてからはご存じのレジェンドとなりました。1966年の引退の年でさえ、27勝9敗、ERA1.73。全盛期に30才で引退したのでした。
ドジャースの監督時代
そして1960年に現役を終えたラソーダさんは、1961年にドジャースのスカウトに。1965年にはマイナーの監督。1973年にドジャースのコーチに就任。1976年シーズン終盤にドジャースの監督に就任。
以降、1976年から1996年まで22シーズン、監督を務めました。
- 1977: 地区優勝>NLペナント>WS(vs NYY)で敗退
- 1978: 地区優勝>NLペナント>WS(vs NYY) で敗退
- 1981: 前期地区1位>NLペナント> WS制覇(vsNYY) ※1981は50日間のストがあった年。ストを境とした前期・後期制の採用。
- 1983: 地区優勝>NLCSで敗退
- 1985: 地区優勝>NLCSで敗退
- 1988:地区優勝>NLペナント>WS制覇(vs OAK)
- 1994: 地区1位 ※ストで途中終了
- 1995: 地区優勝>NLDSで敗退
- 1996: 地区2位>NLDSで敗退
ストがあった特殊なシーズンとなった1981年と1994年の地区1位を入れるとディビジョンタイトルは8度、NLペナントは4度、WSチャンプが2度。
1983年と1988年にはNL MOYを受賞。
ドジャー・ブルーの血が流れている
“I bleed Dodger blue and when I die, I’m going to the big Dodger in the sky.” – トミー・ラソーダ
ご冥福をお祈り申し上げます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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