現役28年(NPB 9年/MLB 19 年)
日本時間2019年3月21日、マリナーズ@アスレチックスの日本開幕戦第2戦の途中、「イチロー選手がゲーム終了後会見を開く」というアナウンスが流れました。
「来たか」と誰もが思ったと思います。
その後はアメリカのメディアを中心に一気に堰を切ったかのように”Retire”の文字が拡散されました。
イチロー選手、とうとう現役引退となりました。
最低50才までは現役と言っていたイチロー選手ですが、厳しいメジャー・リーグにおいてはその高い水準までは届きませんでした。
最後のゲームの成績
イチロー選手の現役最後のゲームの成績です。
- 2回表: 3Bファウル・フライ(P: マルコ・エストラーダ)
- 4回表: 2Bゴロ(P: マルコ・エストラーダ)
- 7回表: 見逃し三振(P: ホアキン・ソリア)
- 8回表: SSゴロ(P: ルー・トリビーノ)
8回裏の守備についたところでイチロー選手は交代。最後の投手がルー・トリビーノ。いつか出ると思われるクイズの答えとして覚えておきたいと思います。
最後のシーズンは2試合で無安打。むしろ清々しい数字に思えます。
AVG .000はマルが3つ。近江商人ふうに言えば、三方良し!で終わりよし。
”神戸にとっての恩人”
イチロー選手の現役スタートは神戸から。
1992年にデビュー。そして1994年に仰木監督と出会ってレギュラーとなりその才能が花開きました。130試合で210安打。
そして1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。「がんばろうKOBE」の旗印のもと、オリックスナインは神戸や兵庫県全域に元気を与えてくれました。平井投手やDJ、鈴木平投手、星野投手、田口選手など本当に素晴らしいメンバーでした。もちろんイチロー選手はまさにヒーロー。
このグッズ↓は筆者にとってはお守りのようなものです。腕が取れてしまいましたが、まだ顔がこんなきれいな状態で残っていますwww
イチロー選手がオリジナル・カスタマイズドMARCHに乗っていたころですwww
オリックス時代、NPB9年で951試合、1,278安打。このうち二塁打が9年で211本というとんでもない数字を出しています。HRは118本。
MLB19年の成績
イチロー選手のMLB現役19年の成績はご覧の通り。すごすぎますね。
- 2001 AL ROY
- オールスター出場:10度 (2001-2010)
- MVP (2001)
- 2007 ASG MVP
- ゴールドグラブ賞:10年連続 (2001-2010)
- シルバー・スラッガー賞:3度 (2001、 2007、2009)
- 首位打者:2度 (2001 & 2004)
- 最多打数(AT BAT):8度 (2001, 2004-2008, 2010 & 2011)
- AL 最多安打:7度 (2001, 2004 & 2006-2010)
- シングル数最多:10年連続(2001-2010)
- AL盗塁タイトル:2001
- 100 Runs: 8度 (2001-2008)
- 200 安打 : 10年連続 (2001-2010)
- 50 盗塁: 1シーズン (2001)
- キャリアハイの最多安打:262(2004)
- キャリアハイ AVG: .372 (2004)
会見
ゲーム後の会見をかいつまんで書いてみました。一言一句同じではないので、ぜひVTRでニュアンスを掴み取っていただけたらと思います。補足なども入れておりますが、可能な限り再現してみました。
- 最後にSEAのユニフォームを着られたことに幸せを感じている。
- 28年は振り返るにはあまりにも長い時間だったので、ここではこれまで応援していただいた方々への感謝の思い、球団関係者、チームメイトに感謝を申し上げたい。
引退を決めたタイミング
- ピリオドのタイミングと理由は?:キャンプ終盤。もともと日本開幕までが契約で決まっていた。STでも結果が出ず、覆せなかった。
- 今日の風景は素晴らしかった。後悔などあろうはずがない。自分なりに頑張ってきたということははっきり言える。その蓄積。
- 子どもたちへのメッセージを(これ2番目に聞く質問かとは思いましたが。):熱中するものを見つけて。向く向かないではなく、好きなものを。
2018年5月以降の期間は誇り
- 印象に残ったシーンは? :とにかく今日のことが一番だと思う。それを除くと、記録への挑戦は大したことではないと思う。いずれ誰かが抜くし、抜かなくてはならない。10年連続200HITSなどの記録は今日の瞬間からすると、小さく見える。2018年5月からチームと帯同していなければ今日の日はなかった。これは誰にも出来ることではないので、誇りに思う。
- エイミーさんやファンへの思いは?:日本のファンの熱量は普段感じられないが、久々の東京ドームはゲームは静かに進みつつもファンの熱い思いを表現した時の迫力はすごかった。想像できなかったこと。
- ある時までは自分のためにプレーすることがチームにもつながると思っていた。NYYで人に喜んでもらえるプレーをすることが嬉しくなった。
- おかしなこと言ってます?僕?(1度目)
- 貫いたもの、貫けたものはなにか?(答えに窮する禅問答のような質問):野球のことを愛したこと。
- おかしなこと言ってます?僕?(2度目)
200安打の翌年からはしんどかった
- グリフィーが肩の荷を下ろすと風景が変わると言っていたが?:それはなかった。18才−19才(1992−1993年)の1軍と2軍往復は結構楽しかった。94年(3年め)までは楽しかった。あとは番付を上げられてしんどかった。力以上の評価はとても苦しいものだった。
- おかしなこと言ってます?僕?(3度目)
- ギフトについて:2018年3月のオファーからの今日の流れ。あの時(2018年5月)で終わっていたかもしれないから、今ここにいるのが信じられないギフトだ。最後は結果を残したかったが叶わず。それでも(たくさんのファンが)球場に残ってくれて、とてもありがたい思い。
- 最低50才までと言っていた中で、NPBの選択肢は? :なかった。理由は言えない。言葉すること(50才までやると宣言していたこと)は目標に近づく一つの方法かなと。(言っていたから、この年齢までプレーできたとも言えるということかと。)
- これから空く時間はどうするのか?:明日もトレーニングする。
自分を見つめる
- 生き様で伝わっていたら嬉しいなと思うことはあったか?:人より頑張ったということは(あまりにも相対的で)そんなことは言えない。しかし、(相対ではなく)自分の中の秤(はかり)で、自分の限界をちょっとずつ超えて行く(という意味では頑張ったと言える)。少しずつの積み重ねでないと自分を超えていけない。一気に高みに行こうとすると、今の自分とギャップがありすぎて続いていかない。後退もしながら、むしろ後退しかない状況が続いても地道に進むしかない。ゲーム後のファンの方々を見ると、そんなところを見ていただけたのかな?そうなら嬉しい。
- 引退後は何になる?:監督は絶対というくらい無理。人望がないから(謙遜)。アマチュアとプロの間の壁が。そこを崩すのは興味がある。
- 決断日以前にも引退を考えたことはあったか?:クビになるかな?と思っていた。特にNY行ってからは毎日。マイアミでも。クビがその時(引退)かなと思っていた。SEA以外には行く気はなかった。
アメリカは認められれば温かい
- アメリカのファンは?:2001年のキャンプは厳しかった。日本に帰れとか。結果を残したあとの敬意というのは、言葉ではなく行動で敬意を示すのは迫力がある。認めてもらってからはすごく近くなる。NYは厳しいところだった。しかしやればどのエリアよりも熱い。マイアミはラテンの文化が強い印象。圧はそれほど無いが、結果を残さなければ人は来てくれない。セーフコフィールドではなくなってしまった(球場の名称変更)が、姿を見せられなくて申し訳ない。
奥さんと一弓について
- 奥さんへの言葉は?:アメリカで3089安打。ホームゲーム前はおにぎりを食べるのだが、妻が作ってくれたのは2,800個くらい。3,000個行きたかった言っていた。叶えて上げられなくて残念。一弓(愛犬の柴犬)は17才と7ヶ月。フラフラ歩きながらも懸命に生きてる。その懸命に生きる姿を見てたら、俺も頑張らなくてはと。(一弓は)2001年に生まれ、2002年シアトルに来た。まさか(現役)最後まで一緒に過ごせるとは思っていなかった。感慨深い。
- 打席内での感覚の変化は?:ここでいる??裏で話すわ。
- 移籍の制度上の問題で何か感じることは?:MLB移籍を反対されていたが、仰木監督を美味しいごはんとお酒で口説いた。お酒の力の偉大さを感じた。仰木監督はしゃれた人だった。学んだことは計り知れない。
- 一番我慢したことは何だったか?:家では妻がちゃんとした食事を作ってくれたが、(節制という意味では)ロードの食生活はむちゃくちゃだった。
- おかしなこと言ってます?(4度目)
- 台湾の記者の方から、台湾にもたくさんのファンがいるが、皆さんに伝えたいことは?:チェンが元気が知りたい。台湾には以前行ったことはある。心が優しい印象だった。
雄星選手と翔平選手へ
- 後輩に託したいものはあるか?:雄星。短い時間だったけどすごくいい子。いろんな選手を見てきた。左の先発は変わっている人が多い。天才肌が多い。アメリカでもそう。雄星はこんなにいい子いるのかな?という感じ。キャンプ地から日本への移動。ドレスコードで黒のセットアップがOKだった。ただ、日本に着いた時にジャージは駄目だろうと2人で話し合った。(イチローさんは)中はTシャツだけどセットアップにジャケット着てるようにする。雄星もそうすると言っていた。ところが、羽田で雄星は黒のジャージ姿!(雄星も左の先発らしく変わったところがあるが、とてもいい性格の人である)
- 翔平に対しては?:まずは怪我を治して。あのサイズ(体型)で機敏な動きが出来る。世界一の選手にならなきゃいけない。
野球の魅力とSABRのことか??
- 野球の魅力は?:団体競技なんだけど、個人競技でもある。チームが勝てばそれでいいかというとそうでもない。個人でも結果を出さないと生きていけない。また野球には二つとして同じ瞬間がない。飽きがこない。2001年と2019年まったく違う野球。頭を使わなくても成り立つ野球になりつつあるような。これが今後どうやって変化していくのか。この流れは止まらないと思う。(これ言うと問題になりそうだな。)本来は頭を使わなきゃ出来ない競技。そうじゃなくなっているのがどうも気持ち悪い。Baseballがそうなってきていることに危機感を持っている人が結構いると思う。日本の野球は頭をつかう面白い野球であって欲しいなと思う。大切にしないといけないものを大切にして欲しいと思う。
- 最後の打席でMLB初ヒットのことは頭からよぎったか?(ティム・ハドソンから4打席目にCF前):ない。
出来る出来ないではなく、やりたいと思ったことに注力を
- 文集のプロ野球選手になるという夢。何を得たか?:成功かどうかはよくわからない。成功という言葉を使うのは嫌い(人により違うし、定義がはっきりしないので、使うのを避けたい)。MLBに挑戦するのは大変な勇気だと思う。成功すると思うからやってみたいとか、できないから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなと思う。基本的には(出来るかどうかではなく)やりたいと思ったことをやったほうがいい。
- 何を得たか?:こんなものかなと言う感覚かな。1年目に116勝、2年目、3年めも90勝以上。勝つのは簡単かなと思った→しかし、勝つのは大変だった。
- メジャーへの道に関して提言を:日本で基礎を作るのはいいこと。日本の野球で鍛えられたことはいっぱいある。基礎の動きは日本の中学生レベルの方がうまい可能性だってある。特にチームの連携とか。
- 大谷のこと:世界一の選手にならないといけない選手(2度目)。大谷とも勝負したかったが、あくまで投手は自分、バッターは翔平での勝負。年ごとに投手、打者でやるのも面白そう。投手で20勝。翌年に打者で50HRとか。そういう想像もさせるくらい大谷は魅力的。
文集のこと
- 文集を書いた自分に一言:契約金は一億ももらえないよ。と言いたい。
- NYYへ移籍前のマリナーズ時代になんどか孤独を感じながらプレーしていたと言っていた。2018年5月以降も孤独感はあったか?:現在はまったくない。アメリカでは自分は外国人。外国人になったことで人の心をおもんぱかることなどは体験しないと自分の中では生まれなかったことだった。辛いことには逃げたくもなるが、エネルギーの充実した時期に、立ち向かっていくのは大事なことではないかとも思う。
本当はエモーショナルだったと思いますが、照れ隠しのように笑いを取っていたのはイチロー選手らしいなと思います。
イチロー選手に関してはまた数度に渡って特集で記事を書いてみたいと思います。
イチロー選手にはお礼しかないですね。感謝です。おつかれさまでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
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